株式会社桃 代表取締役
濵島 玲恵(はましま・さちえ) 水俣市出身。熊本県水俣高等学校、大分県立芸術文化短期大学を卒業後、番組制作会社である株式会社ETエンタープライズ入社。企画営業職を経て、30歳を機にフリーに転身。2002年に有限会社桃を設立。2005年に株式会社に組織変更。
濵島 玲恵 株式会社桃社長(以下 濵島社長)現在は各種イベントやメディア(番組、CM、印刷物)のキャスティングとプロデュースに特化して事業展開を行っています。去年は「全国女性会館協議会第64回全国大会」(オンラインイベント)、「熊本県企業トップセミナー」などを受託。その他、企業の周年記念イベントや女性芸術家を顕彰する「香梅アートアワード」、熊本地震をきっかけに発足した小山薫堂氏(放送作家)が代表を務めるFOR KUMAOTO PROJECTでの「くまモン夢学校」など、様々な企画に携わっています。手がけるイベントでは、プロデュース、キャスティングだけではなく構成台本、マニュアル作成、ディレクションなどもおこなっています。
設立当初はラジオ番組の企画・制作を主軸としていましたが、業界の変化に伴い、軸足を変更。ブライダル事業にも力を入れるようになり、ブライダルMC(司会者)や演出スタッフ(音響・照明・演奏者)、サービススタッフ(配膳など)の派遣も行ってきました。ただ、ここ数年は新型コロナの影響もあり、ブライダルそのもののやり方や価値観も変わってきているように感じています。社会的大きな変化もあり、事業としては過渡期でもありますね。
濵島社長会社員時代には全国各地のFM(ラジオ)局の立ち上げや観光プロモーションなどに携わっており、20代の頃から全国各地を飛び回っていました。華やかな世界で大きな仕事も任され、やりがいも十分にあったのですが、「30歳になった時、私の人生はこれでいいのか・・・?」と考えるようになり、フリーに転身。その後も、「世界男子ハンドボール選手権大会」、「くまもと未来国体」などのプロジェクト、ラジオ番組の制作やイベント、雑誌編集など仕事としては充実した日々が続いていたんです。
ただ、キャパオーバーしそうなとき代わってくれる人がいなくて、一方で、スキルはあっても仕事に繋がっていない人もいて・・・改めて、「私の強み、ミッションってなんだろう。」と考えたとき、これまでの仕事で築いてきた人脈や経験を活かして『人と人、人と仕事をつなぐ』ことだと気付いたんです。現在も創業のときの想いや軸は変わらず、『人と人、人と仕事をつなぐ』仕組みをビジネスとしてもっと磨き上げていきたいですね。
濵島社長今後はデジタル、オンラインにシフトし、時代の変化に合わせた事業展開を行っていく予定です。現在は、『ナレーションのオンライン販売システム』、『ホームページ用モデルの提案』に力を入れています。映像コンテンツを制作する際、撮影、編集は、ある程度は機材でカバーできることも多いと思うのですが、ナレーションだけはやっぱりアプリではなく、人の声の方がいいですよね。オンラインで受発注できる仕組みがあると多くの人の役に立ち、契約している司会者やナレーターの方とお仕事をつなげられるのでは…と考えました。オリジナル音楽や効果音も提供できる仕組みをつくっています。また、Webをはじめ、各種広告などを作成する際、フリー素材を使用するよりもオリジナル写真の方が企業イメージを伝えることができますよね。弊社は「熊本美少女図鑑」オフィシャルプロダクションでもあり、登録しているエキストラキャストもいるので、イメージ、ニーズにあったモデルをキャスティングすることが可能です。
今持っている素材や資産を活かして新しいもの・仕組みをどう作り上げていくのかは常に意識していることでもあります。
濵島社長熊創では日本の中で最先端のビジネスモデルを展開する経営者の方々の話が直に聞けて、気軽に質問もでき、ゆっくり語らうこともできます。現在に至るまでの経緯や失敗・成功事例など惜しみなく伝えてくださるので、自社でも活かせるヒントがすごく沢山あると感じています。また、熊本の若い経営者に会うことで刺激も頂いています。熊本にも熱い想いを持ってキラキラした若手経営者がいることは希望であり、嬉しいですよね。みなさんのお話しを聞かせていただくことで自分自身の視野が広がり、時代の変化を実感するとともに多くの可能性を感じています。
濵島社長もっと熊本の経済に貢献できるような取り組みが出来ればいいですね。特に『女性の復職』には以前から課題を感じています。2017年には株式会社スマイルシェアを設立しましたが、元々は女性の復職支援を目的に始めた会社です。ただ、実際に事業を進めていく中で、女性のライフプランに合わせた雇用・働き方を解決するには企業側が変わっていく必要もあり難しさを実感しました。現在は女性に限らず一般的な派遣事業を行っていますが、今後も女性の復職支援は模索していきたいですね。かつて、熊本洋学校では日本で初めて女性も男性と机を並べて勉強することが許されています。その影響もあり、近代日本で闘いながら女性の立場を創っていった女性たちが、ここ熊本には多く存在していました。このことにも誇りを持って先人に学び、私自身も根気強く取り組んでいきたいですね。